大阪地方裁判所 平成8年(モ)7909号 決定 1997年3月21日
申立人
小玉知己
外四〇名
右四一名代理人弁護士
大江忠
同
鎌倉利行
同
檜垣誠次
同
鎌倉利光
相手方
吉武伸剛
右代理人弁護士
亀田信男
同
椎名麻紗枝
同
飯田秀人
同
鈴木利治
主文
相手方は、申立人らに対し、大阪地方裁判所平成八年(ワ)第七五九八号株主代表訴訟事件の訴え提起の担保として、この決定の確定した日から一四日以内に、申立人ら(ただし、申立人石垣定子、同藤守洋子、同藤原怜子、同石垣裕介、同野本弘子、同山本かほる及び同萩原文を除く。)につき各二〇〇〇万円、申立人石垣定子、同山本かほる及び同萩原文につき各六六六万円、申立人藤守洋子、同藤原怜子、同石垣裕介及び同野本弘子につき各五〇〇万円の各金員をそれぞれ提供せよ。
理由
第一 申立ての趣旨
相手方は、申立人らに対し、大阪地方裁判所平成八年(ワ)第七五九八号株主代表訴訟事件について、相当の担保を提供せよ。
第二 事案の概要
一 株主代表訴訟の提起
1 相手方は、株式会社ミドリ十字(以下「本件会社」という。)の取締役若しくは監査役又はその相続人である申立人らを被告として、取締役又は監査役の責任を追及する株主代表訴訟(大阪地方裁判所平成八年(ワ)第七五九八号)を提起した(以下「本案訴訟」という。)。
2 相手方は、本案訴訟において、申立人ら(ただし、申立人石垣定子、同藤守洋子、同藤原怜子、同石垣裕介、同野本弘子、同山本かほる及び同萩原文を除く。)各自に対し、四八億三六八五万円及び内三〇億円に対する平成八年九月一四日から、申立人石垣定子、同山本かほる及び同萩原文各自に対し、二四億一八四二万五〇〇〇円及び内一五億円に対する右同日から、申立人藤守洋子、同藤原怜子、同石垣裕介及び同野本弘子各自に対し、六億〇四六〇万六二五〇円及び内三億七五〇〇万円に対する右同日から各支払済みに至るまで年五分の割合による金員を本件会社に支払うよう求め、請求原因として次のとおり主張する。
(一) 当事者等
(1) 本件会社は、昭和二五年一一月に設立された医薬品の製造販売等を目的とする株式会社である。
(2) 相手方は、本案訴訟を提起した日の六か月以上前から引き続き同社の株主の地位にある。
(3) 申立人小玉知己、同須山忠和、同川野武彦、石垣八郎(平成六年八月八日死亡)、申立人原嶺、同佐古英二、同北川修三、同野田英夫、同西峯正、同松下廉蔵、同西田正行、山本健吉(平成六年四月一九日死亡)、申立人木本吉蔵、同小松忠夫、同村田清、同田中隆之、同船越哲、同小林博、同上坂一夫、同森樹蔭、同田中一喜、同今村泰一、同三木伸弘、同古田幸一、同久納啓造、同岡本隆、同氏家晃、同土井一成、同瀬川伸、同渡邊良三、同頼廣彦輔、同林正明、同後藤壽及び長谷川栄一は、昭和五八年四月一日から平成八年七月二二日までの間に、本件会社の取締役の地位にあったことがある。
(4) 山本健吉、申立人原嶺、同吉浦睦幸、同奥野良臣及び同石崎和雄は、昭和五八年四月一日から平成八年七月二二日までの間に、本件会社の監査役の地位にあったことがある。
(5) 申立人石垣定子は、石垣八郎の妻であり、申立人藤守洋子、同藤原怜子、同石垣裕介及び同野本弘子は、石垣八郎の子である。
(6) 申立人山本かほるは、山本健吉の妻であり、申立人萩原文は、山本健吉の子である。
(二) 申立人らの責任原因
(1) 本件会社は、昭和五七年七月ころから昭和六三年六月ころまで、HIV(ヒト免疫不全ウィルス)に感染するおそれがあることを認識しながら、又は重大な過失により認識しないで、非加熱血液薬剤を製造販売し、もって全国の血友病患者総数約五〇〇〇名のうち約二〇〇〇名をHIVに感染させるとともに、そのうち約四〇〇名を死亡させた。その結果、本件会社は、被害者又はその遺族合計二四八名によって損害賠償請求訴訟を東京地方裁判所及び大阪地方裁判所に提起されたが、平成八年三月二九日、右両裁判所において訴訟上の和解が成立し、少なくとも三〇億円(本件会社の営業報告書等には、その第七〇期営業年度において約五〇億円の特別損失が見込まれるとの記載がある。)の和解金支払義務を負担するに至った。
また、本件会社は、被害者又はその遺族合計一〇三名から、同年一月、新たに同様の損害賠償請求訴訟を提起されたところ、右和解と同様の解決を目指しており、少なくとも被害者一名当たり一三九五万円(合計一四億三六八五万円)を負担せざるを得ないことは明らかである。
そして、本件会社は、右損害賠償請求訴訟の応訴のために弁護士報酬の負担も余儀なくされた。
(2) 右和解金等は、取締役である申立人らにおいて、製薬会社の取締役として当然尽くすべき業務上の注意義務を尽くし、又は本件会社の従業員に対して製薬会社の従業員として当然尽くすべき業務上の注意義務を尽くさせていたならば、全く支払う必要のなかったものであり、到底適法な経費には該当しない。したがって、監査役である申立人らとしては、本件会社の取締役の業務執行を監視する義務を怠り、さらに、取締役に対して損害賠償責任を追及すべき義務を怠ったことによる損害賠償責任を負う。
(3) よって、申立人らは、その違法な業務執行又は監視義務違反により本件会社が被った後記損害を賠償すべき責任を負う(石垣八郎及び山本健吉の相続人である申立人石垣定子、同藤守洋子、同藤原怜子、同石垣裕介、同野本弘子、同山本かほる及び同萩原文は、石垣八郎及び山本健吉の損害賠償債務を法定相続分に従って相続した。)。
(三) 損害―合計四八億三六八五万円
(1) 本件会社は、前記平成八年三月二九日に成立した和解に基づき、少なくとも和解金三〇億円の支払を負担した。
(2) また、本件会社は、平成八年一月に提起された損害賠償請求訴訟において、前記のとおり、少なくとも一四億三六八五万円の支払を負担することとなる。
(3) さらに、本件会社は、前記損害賠償請求訴訟の応訴のために、弁護士報酬合計四億円を負担した。
(四) 訴訟提起の請求
相手方は、本件会社に対し、平成八年四月八日、申立人ら及び長谷川栄一の責任を追及する訴えを提起するよう請求したが、本件会社は、同日から三〇日以内に訴えを提起しなかった。
(五) まとめ
よって、相手方は、商法二六七条及び二八〇条一項の規定により、本件会社のため、同法二六六条一項五号及び二七七条の規定による損害賠償請求として、申立人ら(ただし、申立人石垣定子、同藤守洋子、同藤原怜子、同石垣裕介、同野本弘子、同山本かほる及び同萩原文を除く。)各自に対し、四八億三六八五万円及び内三〇億円に対する訴状送達の日の翌日である平成八年九月一四日から、申立人石垣定子、同山本かほる及び同萩原文各自に対し、二四億一八四二万五〇〇〇円及び内一五億円に対する右同日から、申立人藤守洋子、同藤原怜子、同石垣裕介及び同野本弘子各自に対し、六億〇四六〇万六二五〇円及び内三億七五〇〇万円に対する右同日から各支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の各支払を求める。
二 申立人らの主張
1 悪意の意義
商法二六七条六項において準用する同法一〇六条二項にいう「悪意」とは、①請求原因の重要な部分に主張自体失当の点があって主張を大幅に補充又は変更しない限り請求が認容される可能性がない場合、②請求原因事実の立証の見込みが低いと予測すべき顕著な事由がある場合、③抗弁が成立して請求が棄却される可能性が高い場合などにおいて、そうした事情を認識しつつあえて訴えを提起したものと認められるときをいうものと解される。
2 本案訴訟における悪意の有無
(一) 請求原因の失当
(1) 申立人らの行為の不特定
会社と取締役又は監査役との関係は、委任契約関係であり、相手方の主張しようとする申立人らの義務違反は、債務不履行のうちの不完全履行の類型に属するから、どの段階でいかなる行為をすべきであったかなど申立人らの注意義務の具体的な内容を明らかにすべきであるところ、相手方は、この点について具体的な主張をしない。
(2) 因果関係の主張の欠落
相手方は、申立人らの義務違反と損害との間の因果関係を明らかにしない。
なお、相手方は、申立人らの義務違反と本件会社が訴訟上の和解に基づいて負担することとなった和解金との間に因果関係がある旨主張するが、和解の成立に至るまでには、裁判所の積極的な和解勧試の下で、多数回にわたる当事者の交渉が介在するとともに、本件会社において和解について高度の経営判断がされていたことからすると、右和解金と申立人らの義務違反との間に因果関係があるとはいえない。
(3) 損害に関する主張の失当
相手方は、本件会社が訴訟上の和解に基づいて負担することとなった和解金が申立人らの義務違反によって本件会社が被った損害と主張するところ、訴訟上の和解は、私法上の和解の性質をも有し、また、和解の成立に至るまでには本件会社において高度の経営判断がされていることからすると、本件会社が和解金の支払を約したことが本件会社にとって直ちに損害となるものではない。
また、相手方は、損害額の具体的な算定根拠を示さない。
(4) 主張補充の当否
株主が取締役又は監査役の責任を追及する訴えを提起するに当たり、事前に会社に対して訴えの提起を書面で請求することが必要とされているのは、まず会社に訴訟追行の機会を与えることにあるのであるから、提訴請求書面において取締役又は監査役の責任原因を特定せず、代表訴訟の提起後に大幅な主張の補充をすることは、提訴請求手続の意義を無にするものであり、会社の訴権との関係で許されない。
(5) 会社に対する提訴請求における事実の不特定
株主は、取締役又は監査役の責任追及の訴訟提起を請求する書面には、取締役又は監査役の責任原因に関する事実を記載すべきところ、相手方が本件会社にした提訴請求の書面には、取締役又は監査役の責任原因に関する具体的な事実が全く記載されていない。
(二) 立証の見込み
申立人ら(取締役又は監査役の相続人については、被相続人である取締役又は監査役)の在任期間は、区々であり、また、取締役である申立人ら(相続人については、被相続人である取締役)の担当職務は、区分されていることから、監視義務その他の注意義務を課すことが現実的でない場合が生じるのであって、その場合には立証の見込みがないこととなる。
3 申立人らの損害
申立人らは、本案訴訟が提起されたことによって、その応訴のために多大の費用、労力等を費やすことを余儀なくされ、特に、相手方の請求が四八億円余の巨額に上ることなどから本来の業務や日常生活の上で大きな支障が生じており、精神的にも肉体的にも甚大な被害を受けている。
三 相手方の主張
1 申立人らの行為の不特定について
相手方は、前記一2のとおり、本件会社の被った損害が取締役又は監査役である申立人らの業務執行又は監視義務違反によるものであることを明確に特定して主張しており、申立人らの主張は、失当である。
なお、本案訴訟は、本件会社の業務執行機関である取締役会の構成員である取締役及び監査役の業務執行責任又は業務執行に対する監視義務違反の責任を追及するものであるが、取締役又は監査役である申立人らの責任は、商法二六六条の規定により連帯責任とされるのであって、個々人によって異なるものではない。特に、本件会社は、血液製剤の製造販売では、我が国で最大のマーケット・シェアを有するところ、相手方が主張するHIVの感染源となった非加熱血液薬剤の製造販売を中止せず、消極的にその継続が取締役会の決議に基づいてされた場合には、その決議に賛成した取締役又は監査役は、その行為をしたものとみなされ、また、右決議に参加して議事録に異議をとどめなかった者は、その決議に賛成したものと推定されるのみならず、積極的にその中止を提案する義務が課されていたのに、中止を提案しなかったために取締役会の議題にならなかった場合には、不作為による民事責任を負うのである。
2 因果関係の主張の欠落について
相手方は、前記一2のとおり、「申立人らは、昭和五七年七月ころ、非加熱血液製剤がHIVの感染源として危険であることを知りながら、又は重大な過失により知らないで、非加熱血液製剤を製造販売したものであって、申立人らの誤った経営判断又は誤った経営判断におちいることのないよう監視すべき義務に違反した結果が和解金の支払に結びついている」旨明確に主張しており、申立人らの主張は失当である。
3 損害に関する主張の失当について
相手方は、前記一2のとおり、「本件会社が和解金の支払を余儀なくされたのは、非加熱血液製剤による不法行為が本件会社の業務執行に当たった取締役会の構成員である申立人らの故意又は重大な過失によるものであることを認めざるを得なかったからであり、和解金等の支払により本件会社が被った損害は、取締役又は監査役である申立人らの違法な業務執行又は監視義務違反によるものである」旨明確に主張しており、損害額についても和解金の範囲内で算定根拠を明示して主張していることは、訴状の請求原因の文理上明らかであり、申立人らの主張は、失当である。
4 主張補充の当否について
相手方は、前記一2のとおり、申立人らの責任原因について明確に特定しているから、申立人らの主張は、失当である。
5 会社に対する提訴請求における事実の不特定について
相手方は、本件会社に対し、明確に申立人らの責任原因を記載した内容証明郵便で提訴請求をしたのであるから、申立人らの主張は、失当である。
第三 当裁判所の判断
一 悪意の意義
商法二六七条六項において準用する同法一〇六条二項にいう「悪意ニ出タルモノ」とは、①請求原因の重要な部分に主張自体失当の点があり、主張自体を大幅に補充又は変更しない限り請求が認容される可能性がない場合、請求原因事実の立証の見込みが低いと予測すべき顕著な事由がある場合、あるいは被告の抗弁が成立して請求が棄却される蓋然性が高い場合などに、そうした事情を認識しつつあえて訴えを提起したものと認められるとき、②株主代表訴訟を手段として不法不当な利益を得る目的で訴えを提起した場合をいうと解することができる。
二 本案訴訟における悪意の有無
1(一) 相手方は、訴状において、申立人ら(相続人が申立人である場合の被相続人を含む。以下これを区別することなく「申立人ら」という。)の責任原因について、「本件会社が非加熱血液製剤の製造販売により第三者に対して和解金債務等を負担するに至ったのは、申立人らの業務執行又は監視義務違反によるものである」旨抽象的に主張するのみである。
(二) そして、一件記録によると、相手方は、本案訴訟において、申立人らの責任原因として、次のとおり主張する予定であることが認められる。
(1) 本件会社の取締役である申立人らは、業務執行の決定機関でありかつ取締役の職務執行の監督機関である取締役会の構成員として、本件会社の主要な業務の一つである血液製剤の製造販売に関与したものであるところ、アメリカ合衆国防疫研究所により非加熱血液製剤がHIV(ヒト免疫不全ウィルス)の感染源であるとの事実確認が発表された昭和五七年七月ころから昭和六三年六月ころまでの間に、取締役会において、非加熱血液製剤の製造販売の中止を決議すべきであったのにこれを怠り(逆に、その製造販売の継続を決議したのであれば、当該決議に賛成した取締役は、その製造販売によって生じた結果について責任を有するものとみなされ、また、その会議に参加して議事録に異議をとどめなかった取締役は、その決議に賛成したものと推定される。)、又はその製造販売の中止を提案してその旨の決議を求める義務があるのにこれを怠って、漫然非加熱血液製剤の製造販売を継続するとともに、市場に出荷した右製剤の回収を怠り、もって全国の血友病患者総数約五〇〇〇名のうち約二〇〇〇名をHIVに感染させるとともに、そのうち約四〇〇名を死亡させた。
(2) 監査役である申立人らは、取締役の業務執行を監視する義務を負い、取締役に対し、HIVの感染源となった非加熱血液製剤の製造販売を直ちに中止するよう請求すべき義務があったのに、故意又は重大な過失により差止請求権の行使を怠った。
(三)(1) しかしながら、相手方の本案訴訟における請求は、本件会社の非加熱血液製剤の製造販売における取締役の善管注意義務違反又は忠実義務違反及び監査役の任務懈怠に基づく損害賠償請求(商法二六六条一項五号及び二七七条の規定による損害賠償請求)と解されるから、相手方は、請求原因として、①取締役が右非加熱血液製剤の製造販売にどのように関与したのか、②監査役が取締役の業務執行を監査する上でいかなる任務を怠ったのか、③取締役らが非加熱血液製剤の危険性をどのように認識していたかなど右義務違反及び任務懈怠を基礎付ける事実について具体的に主張することが必要なのであり、相手方の責任原因に関する右(一)の主張は、請求原因事実の主張として極めて不十分というべきである。
ちなみに、一件記録によると、相手方は、本案訴訟において、昭和五七年七月から昭和六三年六月までの間に本件会社の取締役又は監査役の地位にあった者を被告とするものの、その間における申立人らの在職期間及び担当職務も異なるものである。例えば、申立人田中一喜(監査役)は昭和五九年三月に、同野田英夫は昭和六〇年三月に、同渡邊良三、同原嶺、同西峯正、同田中一喜(取締役)及び同奥野良臣は昭和六一年三月に、同小玉知己及び同後藤壽は昭和六二年三月にそれぞれ退任しており、また、申立人土井一成は、相手方が本件会社において非加熱血液製剤を製造販売したと主張する昭和五七年七月ころから昭和六三年六月ころまでの間、人事部次長(昭和五四年二月から昭和五七年一〇月まで)、人事部長(昭和五七年一一月から昭和六二年二月まで)及び人事部長兼務取締役(昭和六二年三月から平成元年二月まで)の各地位にあったことが認められ、右の事実に照らしても、右①ないし③の点に関する相手方の主張は不十分というほかないし、また、相手方は、右の点について果たして十分な検討をして本案訴訟を提起したものか疑問を抱かざるを得ない。
(2) 右(二)の主張も、取締役について、非加熱血液製剤の製造販売の中止の決議の有無を特定することなく、単に右決議がされた場合とされなかった場合を想定して、抽象的な義務違反をいうにすぎず、また、監査役について、単に抽象的な監視義務違反あるいは非加熱血液製剤の製造販売中止請求義務違反をいうにすぎないのであるから、これによっても、申立人らの前記義務違反及び任務懈怠を基礎付ける具体的事実の主張を欠くといわざるを得ない。もっとも、相手方は、取締役の製造販売の関与について、本件会社が非加熱血液製剤を製造販売した旨の主張をもって十分であるとの前提に立つかのごとくでもあるが、右(1)に判示したところに照らして独自の見解というべきである。
また、相手方は、アメリカ合衆国防疫研究所によって昭和五七年七月ころに非加熱血液製剤がHIVの感染源であるとの事実確認が発表された旨主張するが、仮に右事実が認められるとしても、右の一事をもって直ちに取締役らが非加熱血液製剤の危険性を認識していたことにならないのはいうまでもない。
(四) 加えて、相手方は、本案訴訟において問題となる本件会社が非加熱血液製剤の製造販売行為をした昭和五七年七月から昭和六三年六月までの間に取締役又は監査役の地位にあった者(死亡者にあってはその相続人)すべてを、何ら区別することなく被告として本案訴訟を提起しているものである。
そして、一件記録によると、裁判所は、相手方に対し、本案訴訟の第一回口頭弁論期日において、「被告ら取締役の責任原因は、要するに、『取締役の故意又は重過失により(監査義務違反を含む。)、昭和五七年七月ころから昭和六三年六月ころまでの間に、非加熱血液製剤が製造販売されたため、HIV感染者を出し、もって本件会社が和解金債務等を負担するに至った』ということか。もし、そうであるなら、被告ら取締役の担当職務を明らかにするとともに、右期間の血液製剤の製造販売にどのようにかかわったのか(前記取締役の故意又は重過失(監視義務違反を含む。)を基礎付ける具体的事実を含む。)を具体的に主張されたい。」、「被告ら監査役の監視義務違反及び損害賠償責任追及義務違反を基礎付ける具体的事実を主張されたい。」旨求釈明したことが認められるところ、相手方は、これに対し、前記第二の三1のとおり、「相手方は、本件会社の被った損害が取締役又は監査役である申立人らの業務執行又は監視義務違反によるものであることを明確に特定して主張している。」旨主張して、右求釈明に応じようとしないし、右の事実に本件審尋の結果を総合勘案すると、相手方は、現に主張する以上の具体的な事実主張をなし得ないことを容易に推認することができる。
(五) そうすると、相手方の本訴請求は、請求原因の重要な部分に主張自体失当の点があり、主張を大幅に補充又は変更しない限り請求が認容される可能性のない場合に該当し、ひいては請求原因事実の立証の見込みが低いと予測すべき顕著な事由がある場合にも該当するというべきである。
そして、右の事実関係を総合すると、相手方は、右の事情(相手方の本訴請求は、請求原因の重要な部分に主張自体失当の点があり、主張を大幅に補充又は変更しない限り請求が認容される可能性がない点など)を認識しながらあえて本案訴訟を提起したものと推認するのが相当である。
2 よって、本案訴訟の提起は、商法二六七条六項において準用する同法一〇六条二項にいう「悪意ニ出タルモノ」に該当するというべきである。
三 担保の額
申立人らにつき予想される損害、「悪意」の態様、程度その他本案訴訟に関する諸般の事情を考慮すると、本件において提供を命ずべき担保の額は、申立人ら(ただし、申立人石垣定子、同藤守洋子、同藤原怜子、同石垣裕介、同野本弘子、同山本かほる及び同萩原文を除く。)につき各二〇〇〇万円、申立人石垣定子、同山本かほる及び同萩原文につき各六六六万円、申立人藤守洋子、同藤原怜子、同石垣祐介及び同野本弘子につき各五〇〇万円と定めるのが相当である。
四 結論
以上の次第で、本件申立ては、いずれも理由があるから認容することとし、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官松山恒昭 裁判官末吉幹和 裁判官小林邦夫)